▼担当学生記者
林香菜子(20歳:取材時)
▼取材日
2001/5/16(水)
▼取材時間
17:00~
▼取材地
つくば市千現(洞峰公園沿い) シーゲル洋菓子店内の喫茶室
▼取材の雰囲気
ナビゲータさんのお店は、インテリアもお菓子もヨーロッパの国へのこだわりが見られ、異国情緒あふれるとてもステキな雰囲気でした。窓の外に見えるのは日本の風景に過ぎないのですが、お店にいる間はあたかもヨーロッパののどかな街にいるような気分にさせられました。
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担当学生記者:
林香菜子(20歳:取材時)
川中子さんのお話を聞いて感じられたことは、川中子さんは自分に降りかかる厳しい状況や条件を、すべて自分にとってプラスに替えていくことによって現在成功することができたのです。ヨーロッパにわたって修行を積むための資金は、家が貧しかったために両親に頼ることができなかったこと、ヨーロッパに渡り有名なお菓子屋さんをまわり自分を売り込んでもなかなか受け入れてもらえなかったこと。そのような厳しい状況に置かれれば置かれるほど、寝る時間も削ってはたらいたり、もっともっと自分を高めるため努力をしたのです。このような惜しみない努力なくしては、自信もつかないし、他人に認められることもないのです。お話の中で川中子さんは、かつて自分が経験した苦難を「今ではいい思い出」と何度もおっしゃっていました。「努力はいつかは報われるもの」と昔から信じていたから、もっともっと上を目指すことができたのではないかな、と思います。このような将来に対する「少しの楽観論」は必要なのだと思いました。ケーキ職人の世界は時代とともに厳しくなっているといいます。その理由は食べる人口が絶対的に減少しているからです。このような時代において一流に、なるためには自分(川中子さんの時代)以上の努力が必要だと川中子さんはおっしゃいました。自分を違った環境においてみる。これだけはというこだわりを持ち、日々惜しみなく努力する。そしてそのなかで自分のオリジナリティーを創り出す。 川中子さんは20歳から23歳までをヨーロッパのお菓子屋さんで学んだそうです。この期間で日本では学ぶことのできないこと(ケーキの作り方はもちろん、生活面や物の考え方も)を多く習得したそうです。日本の若者にも今とは違った環境(海外でなくても)に飛び込んでみることが必要だとおっしゃいました。最後にケーキ工場まで見学させて頂きました。機械のほとんどはヨーロッパ製。ここにも川中子さんのこだわりがみられました。
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同行学生記者:
有賀亮子(21歳:取材時)
家が貧しかったので、小学校2年生から6年生まで新聞配達のアルバイトをしていてた、そうですがこの頃から、将来成功するんだ、という意識をもっていたのかな、と感じました。修行をしに、ヨーロッパへ渡る時も、その資金は、朝から晩まで、職人見習として働き、夜中は別の仕事をして貯めたそうです。常に、親に頼らず、自分で何とかする、という意識を持っていたから、今ではつくば市でも有名なケーキ屋さんを一代で築き上げることが出来たのだと思います。茂さんご自身も、逆にそういった環境が、自分にプラスにはたらいた、というようなことをおっしゃっていました。また、お店を経営するには、よほどの努力が必要なんだな、と痛感しました。今も、周りには新しい洋菓子屋さんができていますが、自分は、人の倍働いてきて、技術もある、ということが自信につながっているそうです。