▼担当学生記者
藤木崇行(22歳:取材時)
▼取材日
2001/3/12(月)
▼取材時間
19:00~
▼取材地
亜細亜大学三号館一階ロビーラウンジ
▼取材の雰囲気
どこまでやるのかということをあえて決めない
担当学生記者:
藤木崇行(22歳:取材時)
取材前にセパタクローの練習風景みせてもらったが意外にも、練習場には女の人がいることに、まず驚いた。話しによると、部員の半数くらいが女性ということで、それによるためか、自分のもっていたセパタクローのイメージが一気に明るく、華やかなものになった。 実際に、プレーを見ても、セパタクローのアタックは、サッカーでいう鮮やかなボレーシュートなので、「すげぇ~!」と見とれてしまった。取材時、寺本さんは日本を代表する選手でありながら、しきりに、「自分はまだまだ」ということをおっしゃっていました。 寺本さんがいうには、日本では、まだセパタクローが十分に認知されておらず、それをする環境が十分整っていないということです。そのため、多くの人がセパタクローをやめなければいけなくなってしまっている、とのことです。寺本さんは、「まだ自分が代表をやっているようではいけない」と、日本のセパタクローをする環境に危機感をもっていらっしゃるようでした。もっと、日本での競技人口がもっとあれば・・・、というように今の自分の状態に決して満足していない、向上心が感じられました。今回の取材のオンリーワン・ワードは 『どこまでやるのかということをあえて決めない』です。 これは、自分が寺本さんに「セパタクローを始めてから、今の自分を想像できたか?」 という質問に対する答えですが、寺本さんの考えとして、「セパタクローをいつまでやるの?」といわれた時、それは逆に「いつでやめるの?」ということでもあり、そう考えると減速してしまういそうになる。だから、あえてここまでということは決めず、自分のやれることをやるだけやって、そして、考えるのはそれからでいい。「自分はここまで!」、ということは決めず、あえて「がむしゃらに自分を追求してみる」。自分にとってはこの言葉が心に残りました。
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同行学生記者:
河野良雄(27歳:取材時)
第一印象、寺本さんは、意外と控えめな方でした。世界を舞台に戦える(現在世界3位レベル)という実力を持ちながらも、セパタクローの認知度の低さにコンプレックスを感じているようでした。国内でもセパタクロー選手は、プロとして食べていけるわけでもなく、実業団選手としての道もあまり開かれていないそうです。寺本さんもアルバイトをしながら、別口で生計をたてながらコンディション調整をしなければならないそうで、そういった練習環境が非常に苦しそうでした。 来年の世界選手権でどうしても上位(2位か1位)になって、セパタクローを有名にしたい!インタビュー中そんな言葉が何度も出ていましたが、選手としての活動もさることながら競技の普及活動とも両立しなければいけない、これに関しても結構責任しょってるな、という印象でした。 今回の取材で僕が一番聞きたかったのは、「セパタクローで食べていけるのか=職業になりえるのか」というところでしたので、現実を知って、なんとか応援してあげたいなと感じました。 キャリナビで取材する人たちは、その業界で第一線で活躍中の方創っていくパイオニア的な人を取り上げていっても面白いと思います。