▼担当学生記者
高原響(21歳:取材時)
▼取材日
2003/7/14(月)
▼取材時間
13:30~15:00
▼取材地
お稽古場@湯島
▼取材の雰囲気
取材は本郷三丁目駅付近にあります、お稽古場にて行ないました。ビルの地下にあるふつうの会議室なのですが、少しでも日本らしさを出すために畳が敷かれ、屏風が立てられていました。浜栄実さんのこだわりが感じられる素敵なお稽古場でした。
浜栄実さんはやわらかで、厳しい方でした。 やわらか、というのは本当に物腰がやわらかで ひとつひとつの質問に対してゆっくりと言葉を選んだうえでお返事してくださったことからです。 嬉しそうに微笑みながら、 「私はオブラートに包んだような言葉が好き」 「言葉そのままの意味ではなくて、どんな意味なんだろう?と考えられる情緒のある言葉が好き」 とおっしゃっていました。 日本の心をほんとうに大切にしている方なのだと感じました。
厳しい、というのは自他両面に対する厳しさです。 ご自身に対する厳しさというのは お稽古において決して逃げずに、10代の頃からお孫さんがいるようなお年になった今でも修行し、向上し続けていらっしゃる点です。 その凛としたパワーに私は圧倒されていました。 そして自分に厳しいからこそ他人に対してきちんと厳しくできる方なのだと思います。 例えばお弟子さんに教える際には 「ほめることは簡単だけれどそれではいいものは身につかない」と考えていらっしゃいます。 私たちに対してもちょっとしたお作法などきちんと叱ってくださいました。
浜栄実さんのようにきちんと叱ってくれる大人は 現代日本において本当に少なくなったように思います。 そのせいか今の若者は打たれ弱くて、 すぐ諦めてしまったり、へこんだり、怒ったりしてしまう人が多いように思います。
自身にひきつけて考えてみると、 私はとっさに人の言葉に動じすぎてしまう面があって、 怒られると本当にどうしようもなく動揺してしまうことがあります。 叱ってくれた相手の言葉を受け入れるべきなのか、 それとも自分に自信を持って揺るがないのか、 その両極端の狭間で立ち位置が分からず動揺していました。 今回のことで考えたは、 私がいつも動揺してしまっていたのは 「叱られた」=「私の人格を否定された」と考えていたからではないか、ということです。 確かに怒りに任せて怒って相手の全人格を否定する人もいます。 (前のバイト先の店長がそうでした。) でも叱る、というのは 「その人を導くために諭す」ことなのではないかと思います。
浜栄実さんのいう「厳しさ」とは教えることです。 怒ることとは違います。 怒りは当人の感情論に近いものがありますが 叱ることは私を向上してくれるもの、 動揺することなく知ればいいんだ、と思いました。 私の「他人の言葉に動じやすい」という弱点がなくなったわけでは ありませんが、 教えることの質について考えられたことで すこし楽になったように思います。 たいへん勉強になった取材でした。
今回の取材はナビゲーターさんの言葉に感動するようなこれまでの取材とは何か違ったように思います。 ナビゲーターさんの存在自体で教えて頂きました。