▼担当学生記者
武田元子(21歳:取材時)
▼取材日
2003/12/5(金)
▼取材時間
10:00~13:30
▼取材地
羽根木プレーパーク
▼取材の雰囲気
雨という悪天候の中、ブルーシートの下で自主保育のお母様たちが下さった暖かいスープを頂きながら取材が行われました。自主保育でお誕生日会があってピアノが弾かれたり、取材中子ども達が竹内さんの下へ遊びに来たりしてプレーパークの暖かい雰囲気を体感出来る取材でした。
これは竹内さんがプレイリーダーとして何を心がけているかに ついて伺ったときに出てきた言葉だったと思います。子どもは 常にプレイリーダーを見ています。だから一つ一つの行動がその プレイリーダーに対する接し方に現れてくるのです。これは、 私たちも常に他人に対してしていることだと思います。例えば 人の悪口を沢山言っている人が居たら、関わらないようにする などです。
プレイリーダーは常に子どもを近くに感じている必要があると 思います。(心理的に)子ども自身が近くに居て欲しいな、この人 にわかって欲しい、と思わないと子どももプレイリーダーに近寄らなく なってしまうと思います。だから、プレイリーダーの事を子どもが 好きと思うかも、嫌だと思うかも結局はプレイリーダーの価値観が一人 一人の子どもの中でどのように解釈されるかにかかっていて、 日々ためされている、ということだと思います。
私は子どもと何らかの形で関わる事を仕事にしたいと考えています。子どもと関わる上で必要な能力について考えた時、やはり「自分の 価値観」が常に子どもに見られていて、何かを教える(伝える) 以上に子どもへの影響力がある事を感じます。そして「自分の価値観」 がきっと今の私にまだ足りずに揺らいでいる事だから一番心に残った のだと思います。「自分の価値観」に押し付けになるのではない、自信 が持てるように日々自分を磨いていかなくてはならないと改めて感じ る取材でした。
ある子供が危ないことをしていた時、その子に対して、だめ、なんでそんな事するのと聞く言い方、また何もしないのも行動だと言っていて、あえて声をかけないこともするそうです。その一言の違いでその子との関係が変わっていき、縮まったり、遠のいたりします。だからこそ一つ一つのやり取りを大切にして、時には、今回こんな言い方をしてしまったから、今度はこう言おうと反省しながら、子供 達との距離感をとっているそうです。
特に初対面の人に会った時、お互い何も知らないか ら話した一言により、その人との距離が遠くなったり、近くなったりするのだと思います。そこからまたやりとりを繰り返す中でも距離が変わっていくので、距離感を保っていけるのかなと思いました。私は、たとえ人との距離が遠のいても恐れないで、次回はこうしようと思いながらやり取りをしていこうと思いました。
ケンカをどう思うか、という質問をしたときに返ってきた言葉です。素直に、その通りだと思いました。苦手なことだからです。日本人の特質か、根強いです。
竹内さんの印象は、子供の心を持った大人、です。子供と遊ぶ姿は紛れもなく童心なのに、しっかりとした価値観を持った、そんなギャップが幅の広さを感じさせる不思議で素敵な人でした。
この取材を通して一番考えたことは、生きる力、ということについてです。(文部省みたいですが)社会には様々な規則や規範、枠のようなものがあります。今の子供は、その枠をよく知っていて、無茶をしない、いわゆる良い子が多いそうです。あれをしちゃだめ、これをしちゃだめということを知っていて、規制されることに慣れている。けれど、それは本当に自分自身枠の意味を理解し納得した上でその枠を守っているのでしょうか?禁止されているからやらない、というのでは自分でものを考えることが出来るようになりません。自分の人生は自分で生きていかなくてはいけないのに。プレイリーダーは、逆にそんな子供たちよりも無茶をすることで、子供を枠の外に連れ出すそうです。それを通して、子供は、“あ、これってやっても良いんだ”“あ、この枠って超えても大丈夫だったんだ”ということを感じるそうです。
プレイパークには禁止事項はありません。そこでは与えられたもの(枠の中)で遊ぶのではなく、自分の好きなように素材(枠)を作り変えます。子供は自由に自分の好きなように遊ぶけれど、プレイパークには秩序があります。遊びの中でも、自らの行動はすべて自分に返ってきます。自らの行動の責任は自分にあるということです。危ないことをすれば怪我をするし、誰かに悪いことをすれば人とぶつかって嫌な思いをする。誰だって怪我したくないし、嫌な思いはしたくありません。だから、そうならないためにはどうしたら良いのか自分で考えることになります。危険の判断、こういうときはこうしたら良いんだろうという判断がわかっていきます。それは、自分の経験を通しての自分なりの生きる術、力だと思います。日々ぶつかるものから、何かを得て、変わっていき、供給と需要のように自然とバランスを取っていく。そこには、結果として秩序がある。
竹内さんが大切にしていることは、ただただ正直になることだそうです。自分を出す、という話にもつながっているものがありました。 (自分を出すのは怖くないか、という質問をしました)自分の想像(善いものも悪いものも)が正しい保証はどこにもなくて、本当にどうかということは試してみないとわかりません。自分の中に取っておいたら、どんどん頼りない一人よがりになってしまいます。自分を出して試していく中で、加減を学んでいくのではないかと思いました。大人は何の悪気もなく子供に“やめなさい”と言うそうです。それは、二つの不幸を招く気がします。一つは、上に書いたように、考えるということ、生きる術を学べないこと。もう一つは、“やめなさい”という規制によって“やりたい”という気持ちを失わせてしまうこと。“やりたい”という欲求、衝動は人を生かしてくれる力のひとつではないでしょうか。何もやりたいことのない人生は、とても苦しいものだと思います。竹内さんは、やめなさいという代わりに、“なんでやっちゃだめだと思う?”と質問するそうです。
プレーパークの基本は、子どもたちの自己責任です。子どもがやりたいと思ったことを存分にやらせてあげる。大人が先に禁止したり、過度に安全体制を作ったりするのではなく、子ども自らが自由な体験を重ねることで危険を体感し、自分はどう動くか考える。「自分の責任で自由に遊ぶ」がここのキーワードなのです。
でも、プレーリーダーから見て明らかに、子どもにとって良くないこと、危険なことがあります。そういう時は、プレーリーダーがどう考えどうしたいのか、が大事。プレーリーダーとは、子どもたちのやることなすこと全てに対し、いつもただ「いいね」と連呼する人ではなく、 「ここは譲れない」というラインをしっかり持ってそれを伝えられる人なのだ、と竹内さんは言います。
何でもかんでも許してくれるプレーリーダーは、 子どもにもその浅さがわかってしまうようです。 「のりたけ(竹内さんのあだ名)にこれ言ったら怒られるな」 とわかっているからこそ、子どもたちは竹内さんを信用する。 その人の価値観を外へ出すことで、その人が今何を大事にしているかがわかる。 竹内さんが「それっていいんじゃない?」と言っても、 子どもは「それはどうなのかな?」と言うかもしれない。 対立するから自分を出すのが怖いのではなく、 そこでやり取りできることが大事。
私はこれを聞いて、すっごく納得できました。たしかに、何でも快くうなずいてくれる人より、自分の譲れないラインだけは死守しようとする人の方が信用できるし、一緒にいておもしろい。何にでも「いいね」と言って受け入れてくれる人は自分にとっては楽な存在かもしれないけど、それって人間同士のやり取りって言えるのかなって気がします。ある個人とある個人のかかわりであるとは言えない。譲れないラインとラインのぶつかり合いがあるからこそ、「私」と「その人」の付き合いなのだと思います。そうでなければつまらない、そう思います。
自分を出せ出せとよく言われるのは、結局、それが「楽しい」につながるからではないでしょうか。出さないと「人にわかってもらえない」とか「自分が成長しない」、といろんな言われ方はするけど、 とにかく「楽しいから自分を出すんだよ」という結論に落ち着く気がします。
これって決して乱暴なことではなくて、自分の行動の基準って、実はすごく単純でいいんじゃないかって思います。好きか嫌いか、楽しいかつまらないか。それに従えば間違いない、という、根拠のない自信のような感覚を持っていいのでは?
ちょっと話が飛び過ぎましたが、以上今日考えたことでした。
この言葉は、竹内さんがプレーリーダーになって まだ日が浅いときに、子どもが非行に走っている姿を見て 何も声をかけることが出来なかったときに、同僚に言われた言葉だそうです。
なぜ何も声をかけなかったのかといえば、 「自分が声をかけても、その子の心には響かないだろう」と、 思ってしまったから。
そんな竹内さんに、同僚の方が「‘相手に響くか’が問題では なくて、声をかけずに黙っていた自分の行動に責任を持っているか が大事」だと言ったそうなんです。
私自身この話を聞いていて、声をかけないという消極的なコミュニケーションをとったときにも、「今私は黙っていたい」という意志があってそうするのと、しないのでは、意味が異なることを思いました。
だから、黙っているときでも、‘黙る’ことを選んだ自分の意志があること。逆にいえば、ただ何となく黙っていた、ということはなくしたい。自分がする行動の1つ1つが大事なことと私は意志を持って行動に移す人でありたいな、と思いました。
夕方になって、家に帰る時間になっても帰らない子には「はや くかえりなさいよ」と声をかけるそうです。その時間は子ども によって違います。距離の問題もあるし、家庭環境の問題もあ る。「なんで、他の子が遊んでるのに、私は帰らなくちゃいけ ないの?」という子どもも、もちろんでてきます。そういうと きに竹内さんは上の言葉を言うのだそうです。
本当にそうだなと思いました。それは教育や子どもにだけ言えることではないと思います。例えば、「この食べ物は体にいい」とテレビで紹介していても、ある人にとってはその食べ物は毒かもしれない。その人に本当に必要な食べ物は別のものかもしれない。それは、その人自身 をみつめなくてはわかりません。
皆に同じことをいうのはラクです。でも、その言葉が自分自身 にとって真実なのかはわからない。そういうことを、見極めら れたらいいなと思います。例えば、ナビさんの言葉にも。同じ ナビさんの言葉の中でも、ナビさんの文脈と私の文脈では発生 する意味が違ってきます。(「休みは必要」と努力家が言うの と怠け者が言うのとはちがうように)徒に感動するのではなく 、自分の中で吟味していく必要があるな、と思います。