▼担当学生記者
雨谷康子(22歳:取材時)
▼取材日
2004/3/12(金)
▼取材時間
10:00~13:00
▼取材地
露木さんのご自宅兼絵画教室
▼取材の雰囲気
露木さんのご自宅の脇にある絵画教室で取材をさせて頂いたのですが、教室内には笑吉人形や子供たちが描いた作品などが飾られており、楽しい気分で取材に入りました。露木さんは穏やかな話し方をされる方で、終始和やかな雰囲気で取材が進みました。また人形の話をされる時はすごく嬉しそうで、取材後もパフォーマンスを見せてくださったのですが、それもいそいそと準備されて楽しそうで、本当に好きなんだということが伝わってきました。パフォーマンスも思わず笑ってしまう内容で私達を楽しませてくださいました。
露木さんが縫製業を続けながら絵を描いては出展していた時代、絵画ではなかなか自分の能力が花開かないことに葛藤を感じておられたそうです。しかし、それでも絵を描くことをやめなかったのは「やめたら取り柄が何もなくなってしまう気がした」からだそうです。露木さんはさらっとおっしゃったのですが、「取り柄がない」と自信をなくしてしまうのは、自分にとってみたら死ぬほど恐ろしいことです。自分は何かしら取り柄があると思うからこそ、生きていられると思うぐらいです。何かに秀でたいと思っていて、それでもなかなか花開かないとき、それは本当に苦しい時だと思います。けれど、露木さんが繰り返しおっしゃったのは、「本当に好きなら、やめないでやり続けること、作り続けること」でした。今では「笑吉人形でやりたいことがすべて出来る!」と言い切れるほどに、やりたいことの幅ややれることの可能性をどんどん広げていらっしゃるのが伝わってきました。自分で作った指人形でパフォーマンスしているときが、時を忘れるほどに楽しいと笑吉人形を語り、動かす露木さんは本当に楽しく誇らしそうに見えました。
露木さんのそんな表情を見ていて、私には果たして続けてやってきた取り柄とがどれだけあるだろうと考えました。ピアノも歌も習字もフランス語も・・・習っていたものは、「ちょっとかじってつまずいてはやめる」ことを繰り返してきたんじゃないかと思い当たりました。そのとき私は「きっとこれは私に合っていなかったんだ!」と納得していましたが、結局は小さなつまづきを乗り越えようとしないで、別のものに刷り変えてきただけだったのです。でもそれではいつまで経ってもフランス語を理解したり、奥深さにふれることはできないし、ましてや使えるようにはならないんですよね。何かを一つものにしようと思ったら、片手間ではできないし、集中してやらなければ自分のものにできないのだと今更ながら痛感しています。そして、小さいことでも一つ一つを丁寧にやっていくことで、自分の幅を広げ、可能性を広げることになるのだということを、露木さんに出会って実物大で感じた取材でした。
意識しなくても自然とそれをしてしまうとか、それをせずには、またはそれがないと自分が自分でいられないもの。それがその人にとっての基幹なのだと思いました。露木さんの場合はそれが表現でした。好きだからこそ、絵を描き続け、絵画・工作教室で教え続けることが出来たとおっしゃっていました。しかし、満足のいく絵が描けず、教室で教えるのも楽ではなかったそうです。それでも続けてきた。その積み重ねが、運命とおっしゃる笑吉人形との出会いにつながっていったのだと思います。
露木さんにとっての表現に当たるものが、私の中にあるだろうかと考えてしまいました。漠然ながら、好きだなと感じることはありますが、これがなければ私が私でなくなってしまうんだ、というくらい強い思い入れのあるものではないような気がします。でも自分にとっては当たり前のことだから、そう感じてしまうのかなとも思います。私が私であるために欠かせないものは何だろう?これを考えて生きたいと思いました。