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集まった同世代のパワーに可能性を感じた。 自分達の世代から何か世の中にインパクトを与えられることができるかもしれないという期待はあった。 しかしその後、同世代のネットワークから思い描いただけの壮大な物語が生まれることはなかった。 記: インターネットが今ほど普及する以前に全国の若者でそれだけの繋がりができたのはすごいですね。その後どうなっていったのですか。 藤沢さん: さらに盛り上がっていき、学生だけではなく同世代の人たちを巻き込んでいこうと、学生と20代後半の社会人たちのネットワークもつくりました。そして20代サミットというイベントをやったのです。起業した20代後半のネットワーク、20代の議会議員、それと学生のネットワークを作って、これからの日本をどうするのかというのを話し合う場所を大阪、東京で作りました。それがムーブメントの絶頂期で、1997年の頃です。 ただ結果を言うと、その後ムーブメントは去っていきました。なぜかというと、僕らのなかに「何か自分たちが集まれば起せるかもしれない」という期待はあったんだけれど、驚くほどにそのメンバーで何をするのかというプランがなかった。みんなの力を集中させる先がなかったのです。そしてビジネスの道を志す人は自分の力でビジネスを、国会議員を目指す人はまずは自分が国会議員になろうというように、各現場に戻ろうということになったのです。ネットワークはそこでパッと途絶えます。あのまま集まっていてもしょうがなかったと思います。 自分の場所に戻ったあと、そこに集まった仲間から上場企業の社長もでましたし、国会議員も何人かでました。地方議員は100人を越えました。時代を代表するNPOも生まれました。丁度その頃インターネットバブルで今のYahooとか楽天を支えている人材もでてきました。だからスモール成功、個人個人では成功しています。30歳で国会議員になったり、上場企業の社長になったのだから大成功と言ってもいいかもしれません。でも私はそれで満足していないです。会社を大きくすることも、政治家になることもツールに過ぎないと思うんです。ゴールじゃないんです。我々が当時語り合っていたのは、僕らが新しい価値観を作ることだったと思うのです。私は言い方を少し変えて、「若い僕らの世代の作品を作る」と言っているんですけど。新しい作品を作れるかというのが勝負なのであって、その勝負はまだこれから始まるものだと思っています。 記: 当時たくさんの仲間を繋ぎ合わせていたときは、その輪の中心にいる存在としての責任のようなものは感じていたのですか。 藤沢さん: 責任のようなものは感じてはいませんでしたね。「いままでこんなことなかったよね」、「これって新しいよね」って思いながらやっていました。これからの時代、責任を抱え込んでやっている人というのは、そんなに新しいことはできない気がします。責任は確かに大事ですよ。でもそれだけじゃなくてこれは新しいとワクワクしてやっていく気持ちが必要です。それにそういう気持ちでやったほうが結果的に多くの人がついてきてくれたりするものです。 記: なるほど。途中で悩んだり立ち止まることはなかったんですね。 藤沢さん: 二十歳くらいのときのほうが今より無鉄砲だったなって思うんですよ。今は判断力と思考力がついてしまった分、行動力が衰えてしまいました。それが今の課題ですよ。やりたいことがいっぱいあって時間がほしい中で突き進んでいました。毎年毎年自分が成長している実感がありました。それはシンプルに自分がワクワクすることをやりたい、人と違うことがやりたいと思っていたのです。悩んでしまうのは見えていないのだと思います。悩む時もあるんですけど、乗り越えないと。まずやってみたほうが早いです。 |